渡辺勝

御本人との最初の邂逅は早川義夫復活劇だ。そもそもライヴに向かうという習慣が当方になかった頃だが、異様な熱気の名古屋ボトムラインで、その空気を蹴散らすように凄まじいエレクトリック・ギターが披露された。当方、以降、早川義夫のライヴには出かけていないけれども(要らんことを書いてしまった)。
 
しかし渡辺勝との、ほんとうの「出会い」となれば、なんといっても沖縄Groove、off note 主催のいくつか重ねられた企画〈夢の隊列〉だ。開演は21時あるいは22時過ぎ、当然に深夜になだれ込むセッション。終演後…朝まで飲んで過ごすというスタイル。※〈夢の隊列〉がボックスとしてリリースされたのは北海道での音源であり、沖縄でのセッションは未発表のまま。これはDeadのように十数枚組でリリースすべきものだ。
ある晩、「いつも同じ曲じゃつまらないでしょ」との口上で歌い始めたのは「春三月」の初演ではなかったか。《春三月/あなたは消えた》。そのとき、会場の後方片隅に十代とおぼしき少女が椅子に座っていた。こんな夜更けだけれども沖縄だからなせる技か。その少女は泣いていた。私も《あなたは消えた》の一行でうるんでいた。懐かしの名曲ではなくて「新曲」で揺さぶられるとはどういうことか。ところが目を離した次の瞬間、すでに少女の姿はなかった。どこにもいなかった。私は驚愕した。これは泉鏡花の世界ではないかしらん。
 
「シル・バラッド」「コト・バラッド」。ヴォーカリストとしての渡辺勝の力量に触れたのは生悦住さんだった。とりわけスロー・バラードとなった「東京」。ちりばめられた《最後の晩餐》《銀のフォーク》といった歌詞、なによりも氏の風貌から、渡辺勝は敬虔なクリスチャンではないかという先入観に囚われていた。本人はあっさり否定したけれども。
 
おまつとまさる氏。最初に目にしたのは2006年Tokuzoのことだ(当初はこれもoff note企画であった)。まだネーミングがない頃の話。《白いシャツにネクタイを巻いて、長い髪を上に丸く束ねて、戸惑うようでいて挑発的な眼差しで、ミュージカルの断章のように、渡辺勝との息の合うステージが印象的、と思いきやレコーディングも済ませているという》と当時記している。このユニットに名前がついてパーマネントに続くとは予想せず。いったい何が起こっているのか、せっせとK.D.Japonへ通う時期があった。渡辺勝の「名曲」を松倉さんが歌うことで旧いファンを篩にかけたかもしれない。しかしこれは年齢差はあれども男女の織り成す「ミュージカル」に他ならなかった。その後、松倉さんの新曲は少なかったけれども(失礼)、同じ曲が常にちがった表情をみせる。たとえば、心に残っているのは、渡辺勝がボロボロのアコースティック・ギターで緩いサンバ調にバッキングする「愛しい人」。エンディング、ギターが終わるときに松倉さんが字余りのように「いとしいひと」とふと呟くテイク。
 
シールズからのCD「ライヴ’77 ぼくの手のひらの水たまり」は発掘ライヴ音源。スタジオ・レコーディングされなかった珠玉の名曲が詰まっている(とりわけ「窓の外は」)。マイクがどこかにぶつかる音もなんのその。(当方が執拗に言及する)残そうと意図した音源ではなくたまたま残された音源だ。渡辺勝は、このような作品の成立に親和性があったのではないか。とりわけ、おまつとまさる氏では宅録の音源とライヴ音源を組み合わせたCDRを多数、世に著した。豪華なんやらスタジオでのマスタリング、とは程遠い。しかし渡辺勝は予算の問題ではなく、音を築きあげていくことを殊更、好んでいたのではないだろうか。
 とはいえ無論、音に無頓着なわけがない。京都・ろくでなしで(しつこいようだが)残された音源をノーカット2枚組で制作された際、プレスCDは図らずも勝手なマスタリングされてしまい、納得がいかなかった。よって本作を購入するともれなくオリジナル音源のCDRがつく、という手間のかかるリリースとなっている。
 
作家主義から離れて。ソロの「ファースト」「セカンド」は同定できる。しかし以降の、彼のソロ・アルバムはというと通し番号は付けにくい。前述、off note関連のリリースは特徴的で、ソロ名義なのにソロ・ボーカルは他のミュージシャンが多数に参加、逆に「エミグラント」との名義ではほぼ全編ソロで歌っているという、コンセプチャルな内容が続いていた。だが渡辺勝を単に「フォーク・シンガー」ではなく、プロデューサー、時代精神、そして歴史を内包していく人物であるということ。その点で、off note の諸作は今後、新たな謎解きがおこなわれることを期待したい。
 
既にすべて終わってしまった、廃墟と化した世界(これは近未来ということではなく、例えば、身近に申せば「スピリットを切らした」1968年以降でよいのだが)。その荒涼とした風景を舞台に、なおも歌い続けることのできるミュージシャン。一聴、ほのぼのに聞こえるかもしれないけれども苛烈な世界を奏で続けることのできる稀有のミュージシャンを自分は幾名かを念頭に置いている。渡辺勝はもちろんその一人である。
 
2nd「HELLO」がCDで復刻された頃に車内でよく聞いていたところ、ことばをしゃべりだした娘が「たんぽぽ/らっかさん」というフレーズにだけ反応し口ずさんでいたことも思い出します。

「高山’s CAMERA」に寄せて

本作の成り立ちを申せば、リリースを前提にせず記録され残されたデータと、対照的に本作品として公開を前提に撮られた「映画」が組み合わされ、望月本人により編集されたという事情をもつ…と注釈をつけても説明には程遠い。ただネット等に溢れる映像の公式リリースを期待する輩には肩透かしを喰らう。もちろん、演奏のパートも含まれている。ではそれ以外がプライベート・フィルムかといえば断じてちがう。冒頭、パーティの一場面のようにみえるかもしれないが、前もって選曲されたパフォーマンスである。とはいえ、パブリック・イメージである「サキソフォンインプロヴィゼーション」と他の部分もまったく同等の要素となっているは自明のことであったので、ビデオカメラを準備し、いつものように記録した。なんら打ち合わせもないので、彼の一挙一動に集中する。生憎、死角に移動されてしまい、苦し紛れにガラス越しに撮らざるを得ない場面もあり、これもまたひとつの価値を生み出している。本作は望月治孝の作品群のなかで、最も孤高の位置を占めることにちがいない。そもそも望月治孝という存在じたいがその位置を占めているというのに。

「映画」の原案はブランショ『アミナダブ』とのこと。翻訳は存在するものの、撮影時には不覚にも未読であった。当日、まったく白紙の状態で「望月監督」の指示でカメラを動かした。これまで何十回も彼のライヴに向かったが、映画製作のカメラマンの如き振る舞いは当方の人生で最初で最後ではないだろうか。深夜の薄暗いホテルの廊下で、望月治孝と彼の〈影〉を追う。ライヴの一回性からは遠ざかり、繰り返しテイクがつくられていく。いったい終着点はあるのか。あてどなく不安に包まれた成り行きへ進むのか。いやそれは杞憂であった。際限のない行為のようでもあるが、私にはその反復の過程に意味が滲み出る。想定された、期待の地平へ向かうのではなく、それぞれのテイクもまた一回性であり、お互いに新たな発見であったと言える。これは自分が再三、経験してきたものと同様ではないかと。

当方が撮影を終えて連想したのは、小川国夫の短篇「アポロナスにて」である(またしても小川国夫か!と呆れてください)。第二短篇集『生のさ中に』の末尾に据えらえた作品。海中に建てた石像が行方不明となり、男と「私」が交互に海に潜って探すのだがみつからない…あらすじはこのくらい。聖書を題材とされているが(そもそも小川国夫の作品は国内外どこであろうと畢竟、聖書の世界なのだが…)徒労に終わるかもしれない、繰り返される作業。しかしながら行為の流れは目的を越えて、他者とのかかわりの原形につきあたるようだ。望月治孝のライヴに通うことはLP「PAS」のライナーで《巡礼》と表していた。この撮影もまた、時間は凝縮されているが、同じ系列にあたるのだと気づく。はたして、ブランショキリスト教徒であったどうかは存ぜず。《巡礼》ということばは、佐藤宗盛のライナーノーツにも現われる。

同ライナーの氏の母親のことばを引用すれば、《あんたたちがやってることは全部、世の中を馬鹿にしてるってことだよ》。おそらくは母親と当方こそ年齢は近いだろうが、我が子に向かって放つことばとしては懇切丁寧、見事に〈世間〉からの一撃である。この一撃は本作に対してもふさわしい、いや当方じしんに対して、なのだが。世間へどう寄与しているというのか。ただ鋭い母親の敢えての発言、そこには無意識に羨望の心の動きも含まれてはいないだろうか。本作もまた、間違いなく贅沢のかぎりを尽くした、孤高の創造物なのだから。

追:2024年11月、CDrが省かれた〈通常盤〉がリリースされた。しかし〈通常盤〉も実質〈限定盤〉なのでぜひご購入を。